とらです。
動物愛護週間は終わっちゃったけど今回は『にゃんこについて考えるシリーズ第1弾』として、飼い主のいない猫(野良猫)に餌を与えてはいけないという社会的通念について、飼い主のいない猫OBとして(笑 考えてみるだかにゃ。早速だけど、まずその辺で見かけるにゃんこ達はイリオモテヤマネコみたいな野生の猫とは違って、イエネコという言葉は悪いけど家畜の部類に入る動物なんだよ。家畜といえば人が何らかの目的で利用するために飼いならし管理している動物。お肉やお乳を得るための牛や豚、鶏とか、馬や牛など労働に使ったりとか。そんでわんこやにゃんこは愛玩目的、いわゆるペットとして人と一緒に暮らしてるんだよね。でも特に昔のにゃんこの大事な役割はというとネズミハンターな訳で、大切な穀物をネズミから守ったり、ペストの流行を抑えたりして活躍してたんだ。そんな使命なもんだから、他の動物とは違って檻に入れられる訳でもなく、縄にくくられるでもなく。家畜としてはかなりフリーダムに行動してたんだよね(笑。
そんな自由な扱いだし、昔は避妊去勢というテクニックも頭も無かったもんだから飼い主のいない猫が増えちゃったのも必然だよね。で、困った人間は誰が発案したかワカランチ会長だけど『野良猫に餌を与えてはいけない』=兵糧攻め作戦が発動したんだと思うんだにゃ。ネズミ採りで大活躍したのに、今度は増えすぎたので邪魔者扱いの兵糧攻めorz。。。まぁ、散々雑草取りに使っておいて、用が無くなったらその労働者(アイガモ)を食べちゃうような人間たちのやる事だからかも知れないけど(汗。。。おいら、それって勝手すぎないかい?って思うんだよね。
まっ、そんな倫理的な事は置いといて結論から言うと、その『飼い主のいない猫(野良猫)に餌を与えてはいけない』という兵糧攻め作戦は見事に失敗で、猫の数が減らないばかりか多くの負の側面を生み出してしまっている。一つは野良猫が迷惑な人と、可哀想(可愛い)と思い餌を与える人との間での軋轢。おいらが言うのも何だけど(汗。。餌をあげると言う事自体は慈愛の精神でもある訳だから、きちんとマナーさえ守れば決して悪い事ではないと思うんだよね、そもそも人間のオッパッピーのせいでその子達がいるわけだし。で、そんな餌やりが悪な風潮なもんだから、餌をあげる人間の方が野良猫みたいにこそこそ人目をはばかり、結果ごはんを地面にバラまいていったり、器に入れたエサ置いたら速攻で立ち去り片付けもしないって弊害を生み出してる。また、そんな邪魔者・悪者扱いなもんだから、いじめの対象にもなりやすいし、事実記憶に残る残虐な事件の数々には猫などの小動物への虐待の過去が確認されていて、それがエスカレートして人への犯行に繋がってる。さらに、根本的に飼い主のいない猫たちの状況を改善・解決しようとしてる人たちの活動にもこの風潮が足を引っ張ってる部分があるんだよねorz。。。
世の中には色んな問題がある訳だけど、『猫に餌を与えてはいけない』って事は、言って見れば野良猫との関与を拒否してるとも見て取れるよね。でも、その他の色々な社会の問題も含めて、関わらない事でその事態が改善するケースって一体何かあるんだかニャ??もちろん、定期的・日常的に餌をあげるのであればある種の責任が生まれるので、ただ単に餌やりOK〜って言うつもりは毛頭ないんだけど、ほったらかす事で問題解決なんて都合の良い事あるはずないよね。。。
どっかの国では、にゃんこは生まれたその土地で生きる権利が保証されてるんだってさ。
『ガット・リベロ = 自由猫』
地域の人々みんなで気にかけて、お世話して、そして増え過ぎないように避妊去勢して管理して。おいら的にはホント羨ましいかぎりなんだけど、ファーイーストな島国では『猫に餌を与えてはいけない』という風潮がまだまだ足を引っ張って、さっき言ったみたいな負の連鎖が今も続いてるんだよねorz。。。
これって小さな命に対する関わり方の違いだと思うんだけど、
隣人として受け入れ、
みんなで努力しながら幸せの連鎖を導いてこうとする
のか
このまま関わらない事を良しとしていくのか?
にゃんこが好きな人も、野良にゃんで困ってる人も、どっちが豊かで幸せな世の中に繋がる行為だと思うか、一度みんなに考えてみて欲しいんだ。特に困ってる人や関心のない方々に、『猫に餌を与えてはいけない』という社会的通念がどのような結果を招いているのか知って欲しいんだよね。
P.S.
今、定期的・日常的にごはんをあげてる方々へ。『猫の正しい飼い方』で千葉県が言ってるようにごはんをあげる行為自体は悪い事ではありません。最低限、美化に努め後片付けをきちんとし、対象にゃんこの避妊去勢は必ずしてねっ!
Good for animals, Good for town!