そんなとらも命の火が絶える時。そのほんの一瞬だけ、もがきながら『まだまだ生きたい』という無念な顔を見せ、その後静かに息を引取った。意地っ張りだったとらが見せた最期の本音。
とらが入院してからみーすけはその原因が何なのかを必死に突き止めようとした。とらの最近の症状をネットの事例と照らし合わせながら病名を探し出そうと頑張っていた。それはもちろんこれからの治療の為に。。。その作業はとらが亡くなってしまった後も続いた。多分それは何がしてあげられなかったのかという自分を責める理由を探す為。そして、どうしようも無かったと自分を納得させる作業でもあったのだろう。あまりに短い間の出来事だったので何がとらを死に追いやったのか、確かな事は分かっていない。先生方の話しとみーすけが調べた結果を合わせると
猫白血病からきた骨髄性再生不良性貧血
だったのではと私は考えている。
とらは小さな子供からおじいちゃんおばあちゃんまで愛されたネコ。みーすけの頑張りもあって周りのテリトリーの地域猫化も進み、侵入猫とのケンカは年にほんの数える程度に減っていた。
そんな小さなシマでみんなの愛に包まれながらゆっくりと平和に過ごせたとら。色んなお気に入りの場所で微睡んだり、近所の方々とお話したり。子供達には大好きなブラシをしてもらっていたね。
とらはこの地で生まれ、この地で生きて多くの人と出逢い、ふつうの生活の日々の中で何かを与えてくれていた。それはただとらが昼寝しているという当たり前の光景だったり、呼ぶと返事をしてくれるとらの姿だったり。そんな日常のとらの姿から大野さんの言う猫の幸福光線を私たちは受け取っていたのかも知れない。
虹の橋に行ってしまいもう逢えなくなってしまったとらだけど、彼が存在したという確かな記憶と胸に残る他愛ない想い出の数々。
それが私たちに残していったとらの いのちのバトン なんじゃないかって思う。
『ちゃんと受け取ったよ、とら。』
おしまい。
追伸:とらの事をちょっとでもちゃんとおくってやりたい。少しでも多くの人にとらが生きてきた事実を知ってもらいたい。それが私の使命に思えて書き始めました。いまだみーすけはめそめそしてるし、私もとらのことで人の優しさにふれると目頭が熱くなってしまいます。でもそんな感情も時が次第に薄くしていってくれて、普通の生活に戻っていくのだと思います。
お店へとらの為にお花を持って来てくれたり、優しい言葉を掛けてくれた方々。記事を読んで心の中で想ってくれた方々。本当にありがとうございました。
最後に。
山猫屋の社長はずっとずっと とらです。山猫屋珈琲店がある限りとら社長です。